うつ病克服体験記

忙しすぎた母がうつに

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以前、僕の母親がうつ病になったことがあります。
僕の母親はとても真面目な性格で、何に関しても真面目に取り組む人です。
そして細かいところを気にするし、結構時間が経っても過去のことを覚えていて、周りにいる僕らもそろそろどうでも良いことではと言いたくなるくらいでした。
しかしそんな性格が職場でも信用されていて、僕ら家族もまっすぐここまで来れたのです。

母のうつ病のきっかけ

母親

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母が鬱になりはじめたのは僕が中学生の頃でした。
当時の母はとある会社でパート勤務をしていまして、毎朝の家族の朝食から仕事から帰っての夕食など、一日を忙しくしていたと記憶しています。
まあそれはどこの家族でもよくある光景だと思います。
しかしあるときから少しずつ母の様子がおかしくなってきました。
それは当時の僕でもなんとなく気づいていたのです。

最初のうちは家族での食事に現れていました。
僕の母親はどちらかというとよくしゃべる方で、ご飯を食べているときも話の中心は母です。
僕らに今日は何か出来事はあったかなど聞いてきて盛り上がるような感じです。
そんなそれなりに賑やかなはずの食卓がだんだんと静かになっていくのです。
母の口数が減ってきているのが確かでした。
それでも初めはそんなに意識もしなかったし、ちょっと疲れているのかもくらいでした。
しかし休みの日でも様子は変わらずに、ついにはご飯の食べ方にも変化が出てきまして。
いつもは必ず食べるお茶碗一杯のご飯を残し始めたのです。
それどころかもう最初から少ししか盛らないようになりました。

仕事とうつ病は関係が深い

さすがに父親が様子がおかしいと思い、何かあったのかを聞いていました。
しかし母の口からは何でもないと。
仕事が忙しくなって疲れているだけだとしか答えません。
それでも母の変化は止まりません。
食卓のおかずは出来合いのものになるし、夜は早く寝てしまうし。
明らかにテンションが低いのです。

僕もこれは何かあったはずだと心配になり思いきって聞きました。
様子がおかしいよ、何かあったんでしょと。
それでも最初は何も言おうとしませんでしたが、ついに本音が出ました。
もう仕事が辛いとのことでした。
僕はまだ中学生で社会のことはわかっておらず、とりあえずまずは父親と話をしてもらって、僕は聞いていました。

その時の話によると、パートしている会社の業績かイマイチよくなくて、かなりの人員を減らしたようなのです。
それでも母は会社から買われていたので逆に残ってもらいたいとのことでした。
しかしそれからが地獄の始まりです。
母が仲良くしていたパート仲間はみんな辞めてしまい、年配の上司しか残っていないところで仕事量がとにかく増えて終わらないのです。
いくら頑張っても全然先が見えない状態が続き、その度に上司からの圧力があったのです。

「辞めるしかない」時もある

禁止マーク

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決して強く言われているわけではないのに、そこが母親の性格もあって、過剰に責任を感じていたのでしょう。
さらに仕事が終わっていないことが解っていながらパートという勤務のため時間になったら先に帰らないといけないのです。
残業はさせられませんので。
それが逆に母を苦しめていました。
残りは必然的に上司にやってもらうしかないのですから。
悪いなという気持ちでいっぱいだったようです。
それを考えながら仕事をしているうちに自分のふがいなさを感じてしまい、神経がおかしくなるくらいまで悩んでいたのですね。
責任感が強いあまりに他の人にも相談できず、一人で耐えていたようなのです。

それを聞いてまず父親は母の会社にいきました。
母の代わりに辞表を提出しに行ったのです。
理由もしっかりと話して、今日の今日から辞めさせてくださいと。

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