健康

過呼吸から薬漬けへ。私が立ち直ったとき。

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私はその時、金融機関に勤めていました。

規律が厳しく、その厳しさが毎日ストレスになっており、仕事が嫌で嫌で仕方がない日々。また、プライベートでも当時の彼氏が風俗にはまってしまい、毎日電話で喧嘩する日々。家ではその電話を聞いた母親からの小言をいわれ、気の休まるところがありませんでした。

そんな時、彼氏との電話中に過呼吸を発症。私の周りには、メンヘラ気味の友達はいたものの、実際に過呼吸などの症状を見たことはなく、自分に何が起こってしまったのか、分かりませんでした。インターネットで検索し、あぁ、これが過呼吸という発作なのか。と。数分したらおさまる、ペーパーバッグが効くから大丈夫、と思いました。しかし、心が限界だったのか、それから幾度となく、過呼吸を発症。仕事中、電話中、気持ちが落ち込んだ時はすぐに発作が出てしまい、仕事は休みがちに。これは大丈夫な状態ではない、と自己判断し、心療内科へ通いました。

初めての心療内科

医師

初めての心療内科。しかも一人での来院。不安しかありませんでした。初めに出された薬はリーゼ。そのあとはソラナックス。その他、聞いたこともない薬を常備薬や頓服として出され、これで私も精神障害者認定されたも同然、そう思いました。それから、私の薬漬け生活の始まりです。毎日、薬を飲んでいました。頓服も含めて。もちろん、どんどん症状は悪化し、オーバードーズを起こして、入院。そして、心療内科から、少し大きな病院の精神科へ。そこで、衝撃の一言をいただきました。あなたはまず、うつ病ではない。だが、うつ病とは全く別の病気があるから。あなたは、パーソナリティ障害です。そっちの治療をしてください。私は、うつ病ではなかったものの、パーソナリティ障害という、全く別の心の病だったのです。驚きでした。今まで、普通に生活してきたつもりだったのに、元から障害を持っていたなんて。落ち着いてから、それを家族にも話しました。仕事については、契約更新の時期だったこともあり、会社の方から契約更新できない旨の通知がありました。有給消化のために長期のお休みをいただき、そのまま退職しました。その間、家族と話し合いをし、彼氏と別れました。仕事・彼氏を失い、私はその時初めて、お母さんの子供でしかない自分、になったのです。もちろん、友人は居ましたが、この時点では深く話をする気にはならなかったので、現状として知ってる人は、親だけになりました。まず、親と話し合い、失業手当の出る3か月間は何もしなくて良いことが決まりました。その中から、生活費だけを入れてくれたら良いと。それだけでも、その時の私にはありがたかったのに、母は言ってくれました。「せっかく勤めた銀行だったけど、合わんのだったらお金がすぐ入る形でやめれて、ラッキーだったね。」と。母は見栄の強いタイプでしたが、私に対しては優しい人でした。私の障害の原因は離婚した父親にあったので、あとは時間をかけて治療していくだけ。精神的に不安定な時期は続いていたので、心療内科には通い、自分から希望してデパスという薬を出してもらいました。その薬があっていたこと、ストレスが無くなったことから、精神的には安定してきた2か月後、元カレから連絡がありました。風俗はやめた。不安にさせたくないから、結婚しよう。と。私は泣きました。母にはもちろん反対されましたが、彼が説得してくれて、無事結婚。3か月の間に、仕事ができるまで回復はしていたので、結婚の間まではパート従業員として働き、結婚してからは一緒に暮らしながら、体調を見つつ正社員としての社会復帰を目指しました。1年後、私は無事、正社員としての社会復帰を果たし、心療内科通いも減っていました。もちろん、薬の量も。最後に行った病院で、パーソナリティ障害はもう治りかけていますね。あとは現状を維持しながら、ゆっくり日々を過ごしてください。と言ってもらえました。そして、本当に大事な友人との交流を再開し、一人ではどこも行けなかった私は、一人で飛行機に乗り、東京に住んでいる友人に会いに行けるようになりました。

夫と友人の大切さ

LOVE

この経験を通して分かったことは、私は決して独りではないことでした。私には、父がいなくても、母がいます。そして、何物にも代えがたい夫・友人がいます。こんなにありがたいことは他にありません。たくさん持っていたり、分不相応のものを持つと、何が本当に大事なのか、分からなくなります。私の場合はですが。私にとっては、銀行という組織は分不相応だったようです。今は、商業科の高校卒だったことを生かし、中小企業の経理事務員として働いています。全体の奉仕者、全体の第三者。特別なつながりを持たなくてもよい立場から、会社を支えていることは、私にとってはやりがいの強いものだったようです。もちろん、会社外部の方との強いつながりもありません。
私はこのまま、母・夫・ただ一人の友人とより強い絆を紡ぎながら生きていきたいと、そう強く願っています。

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